高岡漆器は、江戸時代の初めに加賀藩の藩主前田利長が現在の富山県高岡市に高岡城を築いた時に武具・箪笥・膳等、日常生活品を作らせたのが始まりです。
その後、中国から堆朱、堆黒等の技法が伝えられ、多彩な色漆を使って立体感を出していく彫刻塗・錆絵・螺鈿・存星等、多彩な技術が生み出されました。
代表的な技法として「勇助塗」「彫刻塗」「青貝塗」があります。
板を組み合わせて作る指物、薄い板を曲げて作る曲物、ろくろを使った挽物に大きく分けられ、 漆器木地に各技法を使った加飾が施されます。下地塗り、中塗りの堅牢な作業と、精巧な仕上げ塗りで、高岡漆器は作られていきます。文豪、夏目漱石にも愛されてまいりました。
 違い棚の高岡塗りは沈んだ小豆色に古木の幹を青く盛り上げて、寒紅梅の数点を螺鈿擬いに練り出した。裏は黒地に鴬が一羽飛んでいる。並ぶ蘆雁(ろがん)の高蒔絵の中には昨日まで深き光を暗き底に放つ柘榴珠(ガーネット)が収められてあった。両蓋に隙間なく七子を盛る金側時計が収めてあった。高蒔絵の上には一巻の書物が載せてある。四隅を金に断ち切った箔の小口だけが鮮やかに見える。間から紫の栞の房が長く垂れている。栞を差し込んだページの上から七行目に「エジプトの御代しろし召す人の最後ぞ、かくありてこそ」の一句がある。色鉛筆で細い筋を入れてある。
 すべてが美しい。美しいもののなかに横たわる人の顔も美しい。驕る目は長えに閉じた。驕る目を眠った藤尾の眉は、額は、黒髪は、天女のごとく美しい。 「虞美人草」より(明治40年)
また、高岡漆器が町人文化の中にしっかりと根付き栄えてきた事は高岡の祭で使われる絢爛豪華な御車山にこれら漆器の技が集められていたことからもうかがえます。
当店では長い伝統と確かな品質、安心できる伝統工芸品である高岡漆器を多数取り揃えております。高岡漆器のご用命は、ぜひ当店にお任せください。
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